ひなぴし ドラマ考察

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笑点の大喜利!歴代司会者一覧。次の司会者は誰??写真

笑点の大喜利!

次は、司会者が桂歌丸さんから春風亭昇太さんへ交代になると発表になったそうです。

 

春風亭昇太さんですか・・

それっぽいといえばそれっぽいですが

なんというか、保守的な決定だなぁ〜〜という気もしますね(^_^;)

 

一部では、タモリさんがいいとか

落語家以外の起用を推す声が上がっていましたので

たぶん、落語家でない方が司会を担当することになった方が

話題にはなりそうな気がしていたのですが。。

 

落語家としての力量が必要、という部分もあるんですかね。

 

ただ、なんとなく

落語家一門との関係からこうなったのかな・・みたいな想像も。

 

笑点の大喜利歴代司会者一覧

これまでの笑点大喜利歴代司会者の一覧と担当期間をまとめてみたいと思います。

 

初代  立川談志     1966年 5月15日 〜1969年11月 2日  約3年間

2代目 前田武彦     1969年11月 9日 〜1970年12月13日 約1年間

3代目 三波伸介     1970年12月20日 〜1982年12月26日 約12年間

4代目 5代目三遊亭圓楽 1983年 1月 9日 〜2006年 5月14日 約23年間

5代目 桂歌丸      2006年 5月21日 〜2016年 5月22日 約10年間

6代目 春風亭昇太    2016年 5月29日 〜現在

 

ぼくの中では、笑点の大喜利司会は円楽!というイメージでした。

23年間っていうのは、ダントツですよね(笑)

だから同じように思っている人は多いのではないでしょうか。

 

歌丸さんが思っていたより長いなという印象。

もう10年間も務められていたんですね。

 

春風亭昇太さんは2016年時点で56歳。

円楽師匠の23年間を塗り替えるとすると・・

79歳までやることに!?

 

まあ、健康状態を維持できれば可能だと思います!

頑張ってください!

 

大喜利司会者はそれぞれどういう人だったのか

今回歌丸師匠が大喜利司会を降りるにあたり、司会の外部からの招聘もいろいろ話題になりました。

 

過去の司会者はいったいどういう人だったのか・・

 

ちょっと調べてみました。

 

 

立川談志

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古典落語に広く通じ、現代と古典との乖離を絶えず意識しつつ、長年にわたって理論と感覚の両面から落語に挑み続けた。古典落語を現代的価値観・感性で表現し直そうとする野心的努力が高く評価されたが、その荒唐無稽・破天荒ぶりから好き嫌いが大きく分かれる落語家の一人でもあった。

立川談志 - Wikipedia

あくが強いというか、個性的な見た目と話し口が印象的な方でしたよね。

笑点はまさしくこの立川談志さんが企画して立ち上げたものなんだそうです。

寄席でやってる大喜利をテレビでやろうじゃないか、と談志さんが円楽さんへ持ちかけたのが始まりだとか。

談志さんがいなかったら、笑点はなかったんですね。

視聴率の悪化が原因で初代メンバーとの関係が悪くなり司会をおりざるをえなくなった、というのはちょっと悲しい話ですね。

 

前田武彦

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1960年代、それまで台本を読み上げる形式が一般的だった放送司会に「フリートーク」、「楽屋オチ」、「世間話」といった手法を持ち込み、最盛期にはその毒舌と絶妙な話術から「フリートークの天才」と呼ばれた。

前田武彦 - Wikipedia

現在も使用されている笑点のオープニングテーマの作詞を担当されているようです。

放送作家、司会業という活動をされていたようで、笑点の大喜利司会担当時は、多数のレギュラー司会番組を掛け持ちしていたとか。

そんな中での笑点司会だったので、結局1年ぐらいでの降板になってしまったようです。

思想的に左派の方で、共産党の応援ととれるアクションをテレビでやってしまったがために10年間近くもテレビから干されていたとか・・。

 

三波伸介

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1970年12月20日に日本テレビ系「笑点」の3代目司会者に就任。そのきっかけは、同年2月8日にてんぷくトリオとしてゲスト出演した札幌の地方収録の回で、飛行機の欠航により出演できなかった前田武彦の代役として司会を務めたこと。当時はまだ司会経験が浅かったものの、元々落語に造詣が深かった事もあり、並み居る落語家達を相手に大喜利を取り仕切った。大喜利では、談志時代のナンセンスなブラックユーモアを主体にした掛け合いから落語家の丁々発止による掛け合いに代表されるような、分かり易いドタバタ路線に変えた。番組自体の人気を上げたことはもちろん、自身がピン芸人としてブレイクするキッカケとなった。

三波伸介 (初代) - Wikipedia

笑点のオープニングで大喜利司会者が挨拶する、というのはこの三波伸介さんが「公開放送番組の特性を活かしたい」という思いから発案されたとか。今も続いてますよね。

急逝されたことでの司会降板となったそうです。

その時に、いろんな方へ大喜利司会へのオファーがあったとか。

愛川欽也、伊東四朗、中村メイコ、東八郎、山城新伍といった面々だったそうですが

みなさん「落語家さんの評価をするなんて自分にはできない」という理由で断られたとか。

 

5代目三遊亭圓楽

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桂歌丸や林家こん平とともに前身番組の『金曜夜席』(日本テレビ)時代から出演しているメンバーである。1977年(昭和52年)3月27日、落語に専念するため番組を卒業したが、1982年(昭和57年)12月8日に当時の司会であった三波伸介の急死に伴い、1983年(昭和58年)1月9日から司会者として番組に復帰した。しかし当人は、2回限りの臨時司会のつもりで引き受けたという(そのためか司会就任後しばらくはさまざまな紋付を着ており、徐々に紺の色紋付に定着する)。

三遊亭圓楽 (5代目) - Wikipedia

この円楽さんの時代に「司会者が主役」から「大喜利メンバーが主役」という形へ変化していったそうです。

よく「馬面」呼ばわりされてましたよね〜〜

歌丸さん曰く「円楽さんはいい加減な人。ただそのいい加減さがメンバーからツッコミを入れられる余地を生み、それが面白さにつながった」そうです(笑)

 

桂歌丸

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大喜利では4代目三遊亭小圓遊と、その後6代目圓楽(楽太郎)との罵倒合戦がおなじみであるが、新人時代にネタに悩んでいた6代目円楽(当時:楽太郎)に対し、「(ネタは)俺のことでいいから」と提案した事に由来しており、番組上の演出である。基本的には仲が良く、歌丸と6代目円楽の二人会などで共演することは多い。6代目圓楽の襲名披露を定席興行で実現させたのも、歌丸の尽力によるものだった。

桂歌丸 - Wikipedia

笑点に初回放送からずっと出演し続けてきた伝説の笑点マンですね(笑)

おじいちゃんキャラで三遊亭楽太郎(6代目三遊亭圓楽)とのやり取りがおもしろかったですよね〜〜

 

春風亭昇太

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学生時代にテレビ東京の『大学対抗落語選手権』にて優勝、落研の先輩のすすめでテレビ朝日の『ザ・テレビ演芸』に漫才コンビ、ザ・まんだらーずとして出演。初代グランドチャンピオンになったのを期に大学を中退し、1982年(昭和57年)、春風亭柳昇に入門

春風亭昇太 - Wikipedia

視聴者参加番組から出てきて落語界に入ったということで、テレビでの活動に力を入れているらしいです。

たしかに、昔からお顔をみる機会は比較的多かった気がします。

新作落語から古典まで幅広く手がけられているそうです。

真打ちになるときには七人抜きだったとか。

笑点には、円楽勇退、歌丸司会昇進のタイミングで加入されたようです。

 

 

三波伸介さんが急逝されたあとにオファーされた方が断った理由が

「落語家さんの評価を自分がするなんてできない」だったので

それを考えると、もしかしたら、今回だっていろんな分野の方々へオファーされた可能性もあるのかもしれませんね。

 

ただ、本人側が断ったとか・・

 

まあ、それはわかる気もします。

落語的に面白いかどうか、というのは、他の分野の人には判断しかねる部分があるかもしれませんしね。

「やっかみ」のようなモノを避けたいというのもあるかもしれませんし。

 

でも、テレビ的に言えば、やっぱりなんとか、他の分野の人を連れて来た方が・・

面白かった気がするけどなぁ〜〜

 

落語家が、落語家でない司会者にやりこめられる

というところに、面白さを見出すこともできそうなんですけどね。

それをレギュラー出演者の方々が受け入れられればそれでいいような気もしますけど。

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